041:馴染み (椿+エリカ) |
彼の方がアトリエに篭って出てこない、と小耳に挟んだのは一週間ほど前。
別に珍しいことではない。
彼はいつだって自分の造りたいときに造りたいものを造る。
その結果、一日であれ一週間であれ一ヶ月であれ、創作を終えるまで部屋から出てきはしない。
彼の掌中の珠である北の方さえ眼中になくなってしまうのだから、相当なものだと思う。
「それで、完成なのですか?」
きつい香りのする部屋に踏み入ると、壁一面はあろうかという帆布の前に立ち尽くしている彼の姿。
彼の隣まで歩を進めて声をかけると、わずかに視線が向けられた。
「おからだを、こわしてしまいますよ?」
「壊さない」
にべもない返答に溜息を吐き、塗料にまみれた彼を見上げる。
「せめて、換気はしてくださいませ。気分がわるうございます」
「なら出て行けばいいだろ」
「わたくしではなく、あなたさまのおからだに障ると申しているのです」
「障らない」
帆布に目を戻したまま動かない彼に再び溜息を吐きそうになりながら、帆布を見上げる。
大きな帆布に描かれているものが何なのか、私にはわからない。
「抽象画、ではないのでしょうが……なにを描かれましたか、とは…お聞きしないほうがよいのでしょうね……」
何を描いているのかはわからないけれど、何を表象しているのかはわかる。
こういうところ、彼は本当にわかりやすい。
「抽象画……そういや最近描いてねぇな」
「そうなのですか? いぜん拝見させていただいた、あの絵……わたくし、気に入っていたのですけれど……」
「あぁ……あれならもうすぐ返ってくるから、いるならやるよ」
「まぁっ」
「だいぶ煤汚れてるだろうけどな」
相変わらず帆布から目を逸らさずに、けれど言ってくれたことは嬉しいもので。
「ありがたくちょうだいいたします。では、謝礼としてこちらをどうぞ」
「いらねぇ」
「あぁ、お茶もおはしもごよういしてございます。さっそく食事にいたしましょうね」
閉め切った窓を開けて風を入れる。
かろうじてスペースのある机に持参した重箱を広げ、できるかぎりの笑顔で彼を促した。
笑顔と言っても、私ではなく面の顔なのだけれど。
「すべて召し上がるまで、わたくしはかえりませんからね」
そう言うと、彼はいつもどおりの心底嫌そうな顔を見せた。
そんな顔をしても、私は梃子でも動きません。
「……腹は減ってない」
「気のせいです」
「……食いたくない」
「気のまよいです。あいする北さまのおつくりになったものだとお思いください」
「無理がある」
箸で卵焼きをつまんで、全く手をつける気配のない彼の口にねじ込む。
いい歳をした大の男が、体調管理くらいできないのはいかがなものだろうか。
◆ ◆ ◆ ◆
椿はエリカが創作物を造り終わる時期をなんとなく察知してるよという話。
こんな感じで私にしかわからないようなよくわからない短すぎる中途半端な話で続けていく予定。
|
| 管理者ページ | RSS1.0 | Atom0.3 | template by *ともか* |
(C) 2024 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.
|